三寿ゞ刃物が元祖
三寿ゞ刃物の割込庖丁は、1946年(昭和21年)に創業者 鈴木信次が考案した万能庖丁です。創業者 鈴木信次は、“錆びない特徴を持つステンレスを庖丁の地金材に使う”という当時としては画期的なアイデアを用い、刃物鋼の両側をステンレスで挟み込んだ「よく切れて錆びない庖丁」を日本で初めて製造しました。三代目になった今も、三寿ゞ刃物の伝統を受け継ぎ、多くのご家庭やプロフェッショナルにお使いいただいております。
割込庖丁について
刃物鋼を地金(ステンレスや軟鉄)で挟み込んで一枚に延ばした鋼板で作られた包丁を割込庖丁と言います。特徴としては、鋼は硬いが、地金によって柔軟性にも優れているので、鋭い切れ味ながら欠けにくいという特徴があります。また、峰(背)まで鋼が挟み込まれているため、研ぎ直すたびに、何度も切れ味を復活させることができます。
「金物鷲」
1932年(昭和7年)、三木町(現三木市)は梅雨末期の豪雨により大水害に見舞われています。池の決壊をはじめ美嚢川も氾濫し、町は大きな被害を受けました。翌年、水害によって沈んだ町民の気運を盛り上げるために企画された催しに、「三木金物を組み合わせてつくられた大鷲」があり、これが金物鷲の起源と伝えられています。
時は過ぎ、1952年(昭和27年)、㐧1回三木金物見本市(現 三木金物まつり)に於いて、三寿ゞ刃物創業者 鈴木信次の考案により、当時のモデルを基に「初代金物鷲」を造りあげました。完成した金物鷲は大変美しく、見るものをうならせたそうです。
1967年(昭和42年)には昭和天皇、皇后両陛下にも御観覧いただき、その後はアメリカ、ニューヨーク・ナショナルハードウェアショーやドイツ、ケルンの国際ハードウェアメッセなどの海外展示も行いました。金物鷲の「両翼を羽ばたかせて岩場を飛び立とうとする大鷲の雄姿」は、災害の沈んだ気運を打ち払い、日本のみならず世界へも羽ばたくきっかけとなった三木金物の伝統と誇りのシンボルとなっています。
現在は四代目となった金物鷲が毎年秋に開催される三木金物まつりでお披露目されるなど、職人を中心とした関係者により大切に受け継がれています。
また、2023年(令和5年)3月より道の駅みき1Fに、常設型の金物鷲が設置されました。従来のタイプは長期間に渡る展示が難しく、展示期間が限られてきました。そこで、業界の総力を挙げて、全く新しい構造による常設型の金物鷲を製作して展示しています。
庖丁づくりに込める想い
ひと昔まえは、誰でも刃物を研ぐことが出来ました。
現在では、子供がケガをしないように
刃物を遠ざけることが多くなりましたが、
幼い頃から刃物にふれることで、手先が器用になり、
豊かな創造力を養うことにつながります。
また、豊かな食材が揃う日本で、素材本来の味を
最大限に生かした料理が出来るように、
より美しく、より使いやすい道具を選ぶことは、
心の豊かさにもつながります。
私たちの刃物づくりへのこだわりをもっと広く知っていただき、
便利で身近な道具として多くの方に使って頂きたいと思います。